2010年 4月


「高校かぁ、楽しみだなあ」

少女はにっこりと隣を歩く母を見た。

「楽しみなのもいいけど、勉強もちゃんとしなさいよ?あと、はしゃぎ過ぎて問題起こさないように」
「今日が入学式だよ?いきなりそーいうこと言うわけ?」
「はいはい、ほら、曲がるわよ」

少女の名前は宮野琉菜。ごくごく普通の高校生、になる予定である。

「なんかさっきから曲がり角多くない?」
「そうね。京都っていうのは道が碁盤の目みたいになってるからね」

宮野家は中学を卒業するまでは東京に住んでいた。
だが父親の仕事の都合もあり、琉菜の高校進学を境に京都に引っ越してきていた。

「あら?」母、裕子がぴたりと立ち止まった。
「どしたの?」
「道・・・一本間違えちゃったみたい」
「えーっ?」
「大丈夫大丈夫、またこの先の角で曲がれば元の道に戻れるんだから。京都って便利ねえ」

琉菜は訝しげな視線を裕子に投げた。

すると、ビュウッと強い風が吹いた。

琉菜も裕子も舞い上がる砂埃に目を閉じた。
やっと風が収まると、2人はゆっくりと目を開けた。

「春一番ってやつ?」
「そんなわけないでしょ。春一番っていうのはもっと早く吹くわよ」

琉菜はふうん、と言いながらふと数メートル先に目をやった。

「ねえ、見てみて。こんなところにも神社みたいなのがあるよ。京都ってあちこちにあるよねえ」

琉菜は「神社みたいなの」に駆け寄り、鳥居を見上げた。

「これは神社っていうか、ただの祠みたいなものよ」裕子が追い付いて言った。

琉菜は一歩下がってみた。
確かに、どこにでもあるような、京都ならなおさらどこにでもあるような何の変哲もない祠だ。
それなのに、なんだか不思議と琉菜は目を離せなかった。
別にこういうものが好きだということもないし、何かを信仰しているというわけでもない。

ただ、惹きつけられた。ほかの何ものでもない。

鳥居の奥には小さな祠。
祠の横に立っている小さな石碑。

「『時の祠』・・・?」

琉菜はぼんやりとその石碑と祠を見つめた。

「ほら、琉菜。早くしないと入学式に遅れちゃうわよ」
「うん・・・あ。ちょっとだけ待って」
「何?」
「願かけてくるよ。せっかくだし。これからうまくいきますようにってさ」
「早く済ませなさいよ」

琉菜ははいはいと言って、少しふてくされたような母親を残し、鳥居をくぐった。
そして祠の前に立ち、手を合わせ、目を閉じる。

最高の高校生活になりますように!

その時、またしても強い風が吹いた。

「ほらお母さん、やっぱこれ春一番だよ」

琉菜は振り返って鳥居の向こうで待つ母に向かって言った。はずだった。

「へ?」

琉菜は目を疑った。

鳥居の向こうに母の姿はなかった。
それどころか、今まであったはずのコンクリートの塀、高層ビル、そして遠くに見えていたはずの京都タワーもなかった。

代わりに、木造と思われる家が立ち並んでいる。
そして次に見たものは、人々の服装。

全員着物。


えー・・・と・・・・夢?

琉菜は目をこすった。頬をつねった。痛みはある。

大体、この方法で夢かどうか本当に確かめられるのかわからないけど。

琉菜はひとまず鳥居の外に出た。
あたりを見回すと、やはり景色は同じ。まるで江戸時代―――

時代劇の撮影・・・?

それにしては、カメラもない。着物を着る必要のないスタッフのような人の姿もない。
第一、いくらなんでも町並みが急に変わるはずがない。
それに、一瞬で高層ビルや京都タワーを消す技があるのなら、お目にかかりたいところだ。

「タイムスリップ・・・」琉菜はぽつりとつぶやいた。

なわけないよね?
映画やマンガじゃあるまいし・・・
でも、他には・・・考えられない気もするし・・・
どっちにしても、夢じゃないなら何かしら超常現象的なのが起こってるわけで・・・

琉菜はぼんやりと鳥居によりかかって往来を見つめた。
通り過ぎる人は皆着物、着物、着物・・・
いつまで経ってもジーンズやスカートをはいた人が現れる気配はない。

仮にタイムスリップだとして・・・
こういう時は、おなじようにすれば帰れるって決まってるんだよね

琉菜は鳥居から数歩分はなれた。

「よし・・・」

琉菜は鳥居に向かって歩き、ゆっくりと右足を突き出して鳥居の向こうに最後の一歩を踏み出した。そして左足をそっと右足にそろえた。

お願いします!元に戻してください!
入学式始まっちゃうし、お母さんもきっと困ってるから!

琉菜はぎゅっと目をつぶり、くるっと回れ右した。

そして、ゆっくりと目を開ける。

「・・・はあ・・・・・」

目の前を歩いているのは相変わらず着物の人々だった。

どーしよ・・・

やっぱり、タイムスリップなのかな。だとしたら、ここはいつなんだろう。
ちょっと情報収集といきますか・・・
もしかしたら、ちゃんと2010年かもしれないし。


琉菜は往来に出て、ちょうど目の前を通り過ぎた女性に声をかけた。

「あの・・・」

女性は怪訝そうな顔で琉菜を見た。

「へぇ・・・何どすやろ」
「あのー・・・ここはどこですか?っていうか・・・いつですか?」

女性は眉をひそめた。

「ここは・・・堀川通りやけど・・・いつっていわはると・・・今日は何日やったやろか・・・」

そこまで言うと、彼女は何か言いたそうに琉菜を見た。

「不躾なこと聞きますけど・・・あんたはん、その格好はどないしたんどすか?」
「え?・・・とこれは・・・」

マズい・・・質問返し・・・

「もしかして・・・異人・・・?」

いじん?偉人じゃないよね?・・・異人か!
まあ、タイムスリップだったら、異なる世界から来たわけだし、そういうことにしとくか。

「はい、まあ・・・」
「ひいぃっ」

女性は一目散に行ってしまった。

「へ?ひいぃって、何?」

少し遠くの方で、女性がすれ違い様に男性に話しかけられていた。

「どないしたんや、おしのちゃん」
「平吉はん、異人や!ほらあそこ!」

おしのと呼ばれた女性は琉菜を見た。平吉という男性も琉菜を見た。

「ほんまや、あないな格好して、異人は何を考え取るんやろか」



あのー、聞こえてるんですけど

失礼な、と気を悪くしたのも束の間、同じく2人の会話を聞いていた通行人たちは、ぎょっとしたように琉菜を見、嫌なものを見るような目で歩く速度を早めた。
やがて、周囲には誰もいなくなった。


何?どーいうこと?

とにかく、人がいなければ話にならない。琉菜はふらふらと歩き始めた。
しばらく人気のない道を歩いた後、向こうの角から2人組の男女が現れた。
よくはわからないが、選ぶ余地などないことは確かだ。琉菜は2人に走り寄った。

「あ、あのっ」

2人はしげしげと琉菜を見た。

「あんたはん、どないしたんどす、その格好。もしかして、異人はん?」女の方が聞いた。
「まあ・・・そうですけど」
「なんだぁ、もっとおっかなさそうな人だと思いましたよ」男が言った。

男は米俵のようなものを担いでいた。腰には刀がささっている。

この刀・・・本物?
っていうか、異人異人って、これは普通の制服なんだけどなー・・・

「みんな異人と目が合うと首をもぎ取られるとでも思ってるんですよね。どうりでこの辺りに人がいないわけだ」男は面白そうに言うと、琉菜をじっと見た。
「で、どこの国の方ですか?」
「国?は・・・えっと」

未来から
なんて言えるわけないよね。しかもまだタイムスリップじゃないかもしれない可能性が1パーセントくらいはあるわけだし・・・

「か、韓国から・・・」あはは、と琉菜は笑顔を絞り出した。
「韓国?」男と女が同時に答えた。
「どこですか?」男がひそひそと女に尋ねた。
「うちかて知らしまへん」


男は琉菜に向き直ると、気を取り直してと言わんばかりに切り出した。

「じゃあ、その格好は?」

とりあえずこの場を乗り切らねば、と琉菜は言葉を絞り出した。

「こ、これが・・・私の国の正装なんで・・・」

あながち嘘ではない。琉菜は2人の出方をうかがった。

「じゃあ・・・こんなところで何を?」
「えーと・・・か、観光?」
「かんこう・・・許可はもらっているのですか?」
「許可?」
「ええ、異人は無断じゃこの国に入れませんから」
「あ〜、もらってますよー・・・」

なんかだんだん事情聴取みたいになってきた・・・

「ってちょっと待ってぇな」今度は女だ。
「失礼やけど・・・なんであんたはんはそないに日本語が達者なんどす?」
「あ。」琉菜も男もハッとしたように言った。
「えーと・・・だからですね・・・いろいろ勉強したので・・・」

だんだん引きつった笑顔になっていくのが自分でもわかった。

「そうですか・・・」男はしばらく考えこんだ。

「とりあえず、屯所で事情を聞きましょうか」

は?

トンショ?何それ?
税関?警察?どっちにしてもきっとパスポート出せとか言われるんだ。
やばい、そんなの持ってない。

「ど、どうしてですか?」琉菜は動揺して聞いた。
「このままうろうろ歩いてたら過激派の人に斬られますよ。それに、私たちはあなたに首をもがれるとは思ってませんが、一応この町に怪しい人をのさばらせておくわけにはいかないんですよ」

斬られる、という言葉に琉菜は体が固まるような思いがした。

「トンショに行くとどうなるんですか・・・?」琉菜はおそるおそる言った。
「許可が出てると証明されればしかるべき所に返されます。」
「許可は・・・もらってます・・・」

男はくすりと笑った。その笑顔が消え、一瞬真剣な顔つきになった。そしてまたにっこりと笑った。

「ふふっ。嘘をつくのはやめましょうよ」
「嘘?」女が驚いたように言った。

「あなた何者なんですか?」

それはこっちのセリフです!
何?この人・・・あたしもしかしてとんでもない人に当たっちゃったんじゃ・・・

あたし逮捕されるの?斬られるの?

あたしは・・・帰りたいだけなのに・・・こんなわけわかんない所で死にたくないっ!


考えるより先に体が動いた。琉菜はくるりと踵を返し、一目散に走り出した。


逃げなきゃ。
ここがほんとに江戸時代かなんかなら、居場所なんてないんだから。
あんな人とこれ以上話してたらボロが出る。
あたしはここの人間じゃないってバレる。
そうなったら、本気で斬られる。
だってあの人・・・刀持ってたし・・・たぶん、本物の・・・


琉菜は一目散に走ったが、急に現れた目の前の景色を見て急ブレーキをかけた。
そこには川が流れていた。

鴨川・・・か。
初めて京都に来た時、ここに来たよなぁ。
お母さん、どうしてるかな。

琉菜は傍にあった大木の影に隠れた。おそるおそる後ろを見たが、先ほどの男女は追いかけてきてはいないようだった。

「ふぅ・・・」琉菜はその場にへたりと座り込んだ。

他に考えられない。
あたしはタイムスリップしたんだ。
さっきなんて言ってたっけ。ジョー・・・なんとかって。言葉もよくわかんないよ。

お母さんは困ってるだろうな。
入学式・・・きっともう始まってる。
入学式早々休むなんて、って言われてるかなぁ。
友達作りにも出遅れちゃう。サイアク。

大体、帰り方がわかんないし。
もしかして、ずっとこのまま?
お父さんにもお母さんにも一生会えない・・・のかな。
それじゃなんか、あたしが死んだみたいじゃん。

死んだのかな。なんで?上から爆弾かなんか降ってでもこなきゃあの状況で死ぬなんてあり得ないけど。
ここは天国?天国って随分古風なんだなぁ・・・

どっちでもいい。
あたしはもう、あっちには行けない・・・

「くっ・・・ふ・・・・っ」

いつの間にか涙が溢れ出していた。

戻れない、戻れない、戻れない・・・!!!



「あ、いたいた!」

琉菜はハッとして振り返った。先ほどの女の方がこちらに走ってくる。

やば!

琉菜はすくりと立ち上がって、逃げようとした。

「待っとくれやす。うちは別に捕まえようなんて思うてへんよ」

琉菜は立ち止まり、女を見た。女はハァハァと息を切らせながら琉菜に近づいた。

「さっきはすんまへん。いきなり変なこと・・・」
「いえ・・・」

琉菜はきょとんとして女を見た。
もしかしたら、男の方よりは話が通じる安全な人なのかもしれない、と琉菜が思ったその時―――

「もう、私が米俵背負ってるの忘れてますねー?」

男の方がやってきた。
琉菜の体は自然と硬直した。

「何言うてはるんどすか。そないなこと言うてる場合やあらしまへんやろ」女が男をたしなめた。

男は女の横に立ち、米俵をドサリとその場に置いた。

「よく見とおくれやす。まだハタチにもならへんような女子やないどすか。うちには怪しいお人には見えへんさかい。」
「そんなこと言ったって、じゃあこの格好はどう説明するんです?」
「せやから、さっきこの子がゆっとったやないどすか。この子のお国の正装なんどす。」
「この子のお国って?」
「せやから・・・なんやったやろ」
「韓国です」琉菜は一応嘘を突き通してみることにした。
「それや。なぁ、なんで信じてあげへんのや。この子がかわいそうやない・・・」

女はふと話をやめた。

「あんたはん、名前は?」
「あ、琉菜です。宮野琉菜」
「お琉菜ちゃんやね?よろしゅう」
「お、お琉菜ちゃん!?」

いきなり大声を出したので、男も女も目を丸くした。

そういえば、時代劇とかで女の人に「お」をつける呼び方してたよね・・・
でも、お琉菜ちゃんはないって・・・

「るっ琉菜でいいですっ!」
「ほな、琉菜ちゃん・・・」

女は不思議そうに琉菜を見た。

「うちは鈴いいます。お鈴ってみんなは呼びなはります。新選組で賄いやらせてもらってますのや」
「シン・・・セングミ・・・?」








inserted by FC2 system