「琉菜ちゃん!気がついたんやね!」

琉菜の頭の上で鈴の声が響いた。

「え…?」

琉菜は横になっていた体を起こし、自分の周りを見回した。

布団の上に琉菜は座っていた。その横で、鈴が心配そうに彼女を見つめている。

「お鈴さん、あたし一体…」
「沖田はんから話は聞いたで?琉菜ちゃん気ぃ失のうて倒れたんやて」
「そ、そうだったんですか?」
「もう、心配したんやで?でもよかったわぁ。気分悪うない?」

琉菜は必死に記憶の糸を手繰り寄せた。


沖田さんが、あたしを襲ってきた人を斬って、あたしは気を失って。

あの血。あの赤。あの死体。あの恐怖。


すべてが鮮明に蘇ってきた。

その瞬間、琉菜の目から涙が流れた。

「ちょ、琉菜ちゃん!大丈夫??」
「…怖いんです。殺されそうになった時も、その人を斬った沖田さんのことも…目の前で、殺人の現場が…」琉菜は体をワナワナと震わせた。
「沖田はんも、えらい落ちこんどったよ。琉菜ちゃんにとんでもないもの見せてしまった言うて…」
「沖田さんが…?」
「噂をすれば、やね」

鈴は部屋の入り口を見た。足音が聞こえたかと思うと、障子ががらっと開いて、沖田が入ってきた。

「琉菜さん…!!気がついたんですね!!」沖田はぱっと笑った。


どきん

琉菜の心臓の音が大きくなったのが自分でもわかった。

やっぱり、沖田さんが怖い。

琉菜は黙って下を見た。沖田は琉菜のそばに腰を下ろした。

「琉菜さん、本当に申し訳ないです。あなたにあんなところを見せてしまって…」
「そ、そんな!沖田さんが謝ることないです!あれはもともとあたしの不注意で…それより、助けてくれてありがとうございました」

思ったよりも言葉はすっと出てきたが、それは琉菜の本心ではないような気がした。

沖田は琉菜の言葉に一瞬驚いたような顔をしてから、ふわりと笑った。

琉菜の心臓の音が再び大きくなった。

「いえ…琉菜さん、とにかくゆっくり休んでください。けがもなくて安心しました。それじゃ」

沖田はさっと立ち上がって部屋を出て行った。









「どうして、人を殺したのにあんな風に笑ってるんだろう」琉菜がポツリと言った。
「前に聞いたんやけど、人を殺すたびにいちいち考えてたら勤まらんそうや」鈴が落ち着いて言った。
「それは、そうかもしれませんけど。でも、沖田さんが怖い。さっきだって、沖田さんのこと見るだけでなんかドキドキして…あたし、もう顔を見るたびに思い出しちゃったらどうしよう。これから沖田さんとどうやって接していけばいいのか…」

琉菜の話を、鈴は優しい眼差しで聞いていた。そして、何かを思いついたように目を丸くした。

「…琉菜ちゃん、本当に沖田はんが怖い?」
「はい」
「でも、さっき沖田はんが来た時、実はちょっとうれしかったなんてことない?」

琉菜ははっとした。怖い怖いと思ってはいるが、実際鈴の言っていることは的を射ていた。

「…そう…かもしれない、です」
「こんな時に不謹慎な話でごめんね。これはうちの推測やけど…琉菜ちゃん、沖田はんが怖いんやのうて、沖田はんに恋してるんとちゃう?」
「え…?」
「心当たり、あるんと違う?」

琉菜は突然話の方向が変わって戸惑っているのと同時に、疑いの気持ちがこみ上げてきた。


あたしが、沖田さんを好き?
そんなわけない。
ただ、怖いだけ。
でも、お鈴さんの言ってることは、それはそれで辻褄が合ってる気がする…


「でもやっぱり、ありえないです、そんなの」琉菜は首を横に振った。
「ありえない、なんて随分きっぱりしとるんやな」
「それは…」
「ふふ、堪忍や。こんな時にヘンなこと言ってごめんな。今日はしっかり休むんやで。うちは夕ご飯の支度せなあかん」


「え、あたしも手伝います」という琉菜のセリフを聞かなかったかのように、鈴は部屋を出ていってしまった。











琉菜は布団に寝転んでしばらく考えていた。
恋をしたことがないわけではない。中学の時、同級生に片思いをしたことはあった。
その時の気持ちをよく思い出してみた。

ただ話すだけで他の人と話すより何倍も楽しい。
何も考えなくなったとき、ついその人のことを考えてしまう。
会ったり話したりするとドキドキする。

どれも当てはまっているようで、当てはまっていない。
琉菜は、自分の気持ちがわからず、途方にくれていた。

その時、障子が開いた。

部屋に入ってきたのは沖田だった。

「琉菜さん、具合、どうですか?これ、お見舞いの品です。」

沖田は琉菜の横にちょこんと座ると、団子の包みを差し出した。

「あ、ありがとうございます…えっ!?」

包みを受けとると、琉菜はいきなり頬に暖かいものを感じた。
沖田が琉菜の頬に手を当て、続いて額に手を当てた。

「ななな何してるんですか沖田さんっ!?」
「熱はないかなと思って」沖田は何事もなかったかのように手を離し、「大丈夫そうですね」と笑った。
「だだ、大丈夫ですっ、ありがとうございますっ!」

琉菜は先ほどの鈴の言葉を思い出して余計にあたふたとしてしまい、団子の包みを開けるでもどうするでもなく弄っていた。


「…すみません」沖田は突然謝罪の言葉を述べた。
「だから、なんで沖田さんが謝るんですか?」琉菜はどぎまぎしながら聞き返した。
「お鈴さんも一緒だったとはいえ、最初にここにあなたを連れてきたのは私です。あなたを、新選組の一員にしてしまった。さっきの賊だって、琉菜さんが新選組の人間じゃなかったら刀を抜いたりしなかったと思うんです」

琉菜はふっと落ち着いて、沖田を見つめた。

そんなこと、気にしてたの…?

「沖田さん、謝ってばっかり」琉菜はくすっと笑った。
「え?」
「この前は、最初に疑ってすみませんって。で、今は連れてきてすみませんだなんて。あたし、この時代に来て、あたしを拾ってくれたのが沖田さんで、新選組で、ほんとによかったって思ってます。なんだかんだ、毎日充実してますから」
「本当ですか?」
「はい。沖田さんやお鈴さん、近藤局長や兄上に会えて、嬉しいんです、あたし」

沖田は子供のようににこっと笑った。

「ありがとうございます。早く元気になってくださいねっ」沖田は琉菜の頭をわしゃわしゃっと撫でたかと思うと、すっと立ち上がって部屋を出ていった。




琉菜は茫然として沖田が出ていった方角を見つめていた。
自分の頭に手をやり、今しがたの出来事を反芻した。まだ、沖田の手の温かさが残っているようだった。

顔が火照っているのが自分でもわかった。
心臓は、どきどきと大きな音を立てている。


ああ、そうか…

あたし、沖田さんが好きなんだ。













次の早朝、起きて身支度をする琉菜を見て、鈴があわてて制した。

「琉菜ちゃん!まだ寝ててええんよ」
「大丈夫です。どこかけがしたわけじゃないんだし、普通に働けますよ」
「そう?せやけど、無理はせんといてね。気分悪うなったりしたら、すぐに言うんやで?」
「はい、ありがとうございます」


賄いの仕事をしながら、琉菜は別のことを考えていた。
自分自身の、沖田への恋心に気付いたと同時に、もう1つ、あまり喜ばしくない事実にも気付いていた。
沖田さんは、お鈴さんのことが好きなんだなあ。
ちらっと、鈴を見た。
きれい、という言葉がぴたりと当てはまる容姿。隊士たちの間でも、アイドル的存在であるということも耳にしていた。
そりゃ、勝てないよね…
って、勝つとか負けるとか、そういう問題じゃないっての。



「おはようございます!」
朝食の用意をしているのを見つけると、沖田は必ず挨拶をしてくる。
「お、おはようございます」琉菜はどぎまぎしてそう言った。
「琉菜さん、もう大丈夫ですか?」
屈託のない笑顔を見て、琉菜は心臓がどくん、と大きな音を立てるのを感じた。
「は、はい。もう、大丈夫です」
「そうですか。よかったです」
「はい。昨日は、本当にありがとうございました」

どうしよう。
帰りたくなくなっちゃうじゃん。
片思いでも、沖田さんのそばにいたくなっちゃうじゃん。










庭掃除をしていると、中富がやってきた。

「おい、大丈夫なのか?昨日の話聞いたぞ」
「あ、はい。ありがとうございます。もう大丈夫です」

琉菜は中富の心配そうな顔を見た。

「兄上。いつもあたしのこと気にかけてくれて、ありがとうございます」
「別にそういうわけじゃねえけど」中富は少し照れたように言った。
「兄妹らしくしてないと怪しまれるだろ?」

中富はそう言うと、縁側に腰掛けた。

「怖かったろ」
「はい」
「沖田先生が、助けてくれたんだってな」

箒を動かす手を止めて、琉菜は中富を見た。
「はい」そう答えると、琉菜の脳裏にあの時の光景が蘇った。
「やだ…」箒を取り落とし、琉菜はその場に崩れ落ちた。
「おい、大丈夫か?」中富が駆け寄ってきて、そっと琉菜の肩に触れた。
「悪い。思い出させちまったな」
「怖かった。目の前で、人が…」琉菜は思わずまた泣き出していた。
「そっか。そっちの方が怖かったか」
まあ座れ、と中富は琉菜を縁側に連れて行って座らせ、自分もその横に腰掛けた。

「そりゃそうだよな。俺も最初は怖かったよ」
琉菜が何も言わないのを見て、中富は続けた。
「でも、新選組の隊士としてここにいる以上、鬼にならなきゃいけないんだ。もしかしたら聞いたかも知んねえけど、新選組には法度がある」
「法度?」
「揺すり、隊内の私闘、勝手な訴訟、それから、脱走。こういうことをすると、切腹になるんだ」
「せっ…ぷく…?」
何それ、切腹?
そんな厳しいルールがあったなんて、今まで誰も教えてくれなかった。
中富は話を続けた。
「法度があるから、新選組の隊士はいつも命がけで生きてる。武士らしくあれってことをいつも肝に銘じなきゃいけない。敵前逃亡したら切腹だから、目の前に敵が現れた時は斬るか、捕まえて屯所に連れてくるかしかないんだ。オレも、人を斬ったよ」
「兄上も…?」
「ああ。慣れるっていう人もいるけど、オレはやっぱり、慣れないな。でもその代わり、新選組に忠義を尽くして、日本のために働かなきゃって、そうすれば、人を斬ったことも無駄にはならないって、そう信じてられるし」
中富は「なんか、話がそれたな」と言って笑った。
「だから、慣れろとは言わない。けど、ああいうことは、日常茶飯事だって思っといた方がいいぜ」
「日常、茶飯事…」
あんなことが、また起きるっていうの?
そんなの、嫌だよ。
いつも沖田さんが助けてくれるわけでもないし。
「怖い、早く、帰りたい…兄上や、沖田さんたちとお別れするのは寂しいけど」
琉菜は何気なくそう言って、中富を見た。
なぜだか、彼は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「帰る方法は、必ず探せ。来られたんだから、帰れるはずだ」中富は、やけに力強くそう言った。
「はい…」
琉菜は目の前に放置してあった箒に目を向け、掃除をしていたことを思い出した。
すっくと立ち上がり、庭掃除を続けた。
中富はまだそこに座っていたが、ごろんと体を後ろに倒し、仰向けに寝転んだ。
「オレは、武士だ」
小さな声で、中富がそう言うのを、琉菜ははっきりと聞いた。








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