食事が終わり、食器洗いも終わった頃には琉菜はもう数時間働いたような気がしていた。が、まだ日は高く、正午は当分先になりそうだった。

この世界で、火おこしやら身支度やらすでにたった1日で琉菜は様々な不便を感じていたが、その中でも最たる不便は、時間の感覚がないということだった。
鈴に聞いても沖田に聞いても中富に聞いても、返事は「辰の刻」だとか「明け六つ」だとか、まるで参考にならない。
太陽の高さを見て、なんとなく午前か午後か、ということを判断するしかなかった。

琉菜は「四半時」の休息を終え(四半時というのはだいたい30分くらいなのではないかと琉菜は推測した)、鈴と買い物に行くことになった。琉菜の着物の買い出しである。
昨日はバタバタと屯所にやってきたので、街並みをゆっくり見る余裕はなかったが、改めて見ると幕末の京の街はなんとも風流であることに琉菜はすぐに気づいた。

本当に時代劇みたい…

琉菜はしみじみと辺りを見回した。

「どないしたん、琉菜ちゃん」
「え?いや、なんか…スゴいなあって…」

鈴が不思議そうな顔をしたので琉菜は付け加えた。

「こういう街並みとか、本とかドラマ…あ、いやなんでもないです。とにかく、本で見たことがあるだけなんで、実際本物見ると、なんかスゴいなあと…」

鈴はクスクスと笑った。

「琉菜ちゃん、ほんまに未来から来たんやなぁ」
「って信じてないんですか?」
「そないなことあらへんけど。うちらにとってはこれが普通やさかい、おもろいなぁ思て」

確かに、それこそ外国人でもない限り、琉菜のようなリアクションは取らないだろう。

「せやけど、その格好なら未来から来たようには見えへんし。それに琉菜ちゃんは中富はんの妹なんやから、屯所でそないなこと言うたらあかんえ」
「あ、そうですよね」

琉菜は自分の髪に手をやった。複雑に、きつく結われている。今は幕末の人間として生きているのだと琉菜は自分に言い聞かせた。
そして、ふと小夜の言葉を思い出した。

『せやなかったら新選組なんか来ぃひんもんなぁ』
よほどの事情がない限り、女は新選組には入れない。ならば、鈴にもよほどの事情があるのだろうか。

こういうのって、聞いちゃっていいのかな…

琉菜がためらっていると、鈴があっと声を上げた。

「ここやで、琉菜ちゃん」

目の前には、古そうな建物に「呉服」という看板。鈴はほな、と琉菜を促し中に入っていった。


中に入ると、色とりどりの着物が所狭しと並べられていた。

「うわぁ、きれいですね!迷っちゃいます」
「せやなあ、こんなんはどうやろ?」

それから小一時間、2人は着物を選んだ。女同士で服を選ぶ楽しさは、現代とそう変わらなかった。
着物はもちろん、下着や足袋も揃え、2人はそれぞれ大きな風呂敷を担いで店を出た。

「あのー、この着物のお金ってどこから出てるんですか?」琉菜は素朴な疑問をぶつけた。
「琉菜ちゃんの御俸給から引くて土方はんが言うてたえ」

じゃあしばらくはタダ働き同然か…
まあ、屯所においてもらってるだけありがたいからいいんだけど…

「明日からは琉菜ちゃんはこの着物着るんやね。きっと似合うと思うよ」 「そうですか?お鈴さんがセンスいいからですよ〜。あたしには着物のことはよくわからないから、ダサいの選んでたかもしれないし。」
「扇子がいい?」
「あ、いや、こっちの話です…」琉菜は慌てて取り繕った。
「100年以上先の未来いうんは、言葉も違てるんやねぇ」
「そうですね、あはは…」

言葉には気をつけないと…ポロッと出ちゃいそうだけど。
お鈴さんならまだしも、あたしを幕末人だと思ってる人が聞いたら怪しまれちゃう。

琉菜は余計なことを言わないように、鈴の方から話しかけられる以外は口をぎゅっと結んだまま残りの道を歩いた。

屯所の前に戻ると、あの浅葱色のだんだら模様の隊服を着た一団が、屯所から出てくるところが見えた。
琉菜たちとは反対方向に行ってしまって、こちらには気づいていないようだったが、琉菜は先頭に沖田がいることに気付いた。

その瞬間、琉菜はビクッと体が動いたのがわかった。

同じだ―――
同じ目してた。
あたしが、初めて沖田さんに会った時と。
あたしのこと、疑ってた時と。

朝はにこにこしてたから、そっちが素の沖田さんだと思ってた…
沖田さんって、本当に何者?


そんなことを考えながら中に入ると、縁側に琉菜の知らない2人の男が座って、刀の手入れをしていた。

「あ、お帰りなさい」若い方の男が言った。
「買い出し済んだんですね。いいのは買えました?」
「へぇ、可愛らしゅうのがありました」鈴がにこりと笑った。

鈴は緊張している様子の琉菜を見ると、2人の男を指し示した。

「琉菜ちゃん、このお方たちは8番隊組長の藤堂はんと10番隊組長の原田はんや」

琉菜は男たちを見た。2人は愛想よく笑っていたので、琉菜はリラックスした気持ちで挨拶した。

「初めまして。今日から賄い方として働かせていただいてます…」
「ああもう堅苦しい挨拶はいいって!琉菜ちゃんだよな?おれ、かわいい娘の名前覚えるのだけは得意なんだぜ〜」先ほどとは別の男が楽しそうに言った。
「一言余計ですよ、琉菜さん困っちゃってるじゃないですか!」若い方の男が咎めるように言った。

男はまったく、とため息をつくと、琉菜を見て言った。

「藤堂平助。8番隊の組長です」
「おれは原田左之助、10番隊の組長だ。よろしくな」
「琉菜です。よろしくお願いします」

琉菜はぺこりとお辞儀した。

2人とも優しそうな人だな。
あ、局長さんも優しいか。
土方さんは怖いし、沖田さんはなんだかよくわかんないし…
でも、それ以外はみんな優しくていい人なのかも。


琉菜は藤堂と原田が持っている刀を見た。

でもこれ、本当に、本物の刀なんだ…
この人たちも、優しそうだけど、人を…斬ったりするの?

「ほな、琉菜ちゃん、荷物片づけにいこ」

ぼんやり考えていた琉菜は、鈴に声をかけられてハッとした。

「夕飯も楽しみにしてるぜ」去ろうとする琉菜と鈴に原田が言った。
「へぇ、おおきに」鈴はくすりと笑った。

琉菜は部屋へと戻りながら、再び考え事を始めた。

そうだよ、現代の警察だって、拳銃持ってるけど、あれは威嚇用って感じだし、めったに使わないし。
たぶん、新選組の人たちも、刀持ってはいるけど、めったに使わないんだよね。
なんかあたし、警察に保護された迷子みたい。
実際そんなようなもんだけど…

「琉菜ちゃん?どないしたん、ぼぅっとしはって」部屋の障子を開けながら、鈴が不思議そうな顔で琉菜を見た。
「あ、いえ、なんでもありませんっ!」

琉菜は慌てて鈴について部屋に入った。
荷物を片づけると、また夕飯の準備に追われ、食事が終わると後片付けに追われ…

賄い方最初の1日は、あわただしく幕を閉じた。







次の日。幕末生活3日目。
まだまだ要領をつかみきれず、朝食の後片付けを終えた時点で琉菜は昨日同様ヘトヘトだった。



「よっ、琉菜ちゃん元気かい?」

縁側に腰かけ、ぼんやりしていたところに原田がやってきた。
琉菜は原田の服装をまじまじと見た。

「おはようございます、あの、その青いのって…」

琉菜は原田が着ている羽織りを指差した。
現代の京都で様々にグッズ化されているものたちに共通する色、柄そのものの羽織りだ。

水色にギザギザ…じゃなくて、確か…

「ああ、これか?うちの隊服なんだよ。浅葱にだんだらなんてさ、野暮侍みてえだって、評判は最悪だけどな。おれは結構気に入ってんだよなー」
「へぇー、素敵ですね」

って、ダサいのかダサくないのかよくわかんない…

「これから巡察なんだ。見送ってくれよー」

琉菜はぼんやり、はぁ、と返事をし、原田について門へと向かった。

門の前には、同じく浅葱にだんだらの羽織りを来た隊士たちが原田を待っていた。

「遅いですよ原田先生ー」隊士の1人がぶつくさと言った。
「おう、悪ぃ悪ぃ。そんじゃ行くか」
「いってらっしゃい」

琉菜はぎこちなく言い、見送りの役目は果たした。

「見送りありがとな、琉菜ちゃん」

原田に続き、隊士たちも礼を言ったり会釈したりした。
それから原田たちはわらわらと門を出ていった。

えーと、これが10番隊の巡察ってやつか。

何番隊だの巡察だの、この短い期間に何度か隊士たちの口から出ていた言葉の意味が、琉菜はなんとなくわかったような気がした。

要するに、ああやって隊に別れてパトロールみたいなことするわけだよね、きっと。
1番、8番、10番はわかったけど、あとは誰が組長なんだろ…
まだまだあたし新選組のこと何にも知らないし、原田さんが帰ってきたら聞いてみよっかな…

そんなふうにぼんやり考えていると、足音が聞こえてきた。

「ん?」

琉菜が振り返ると、男が1人やってきた。男は怪訝そうな顔をして門の方を見ていた。

「ここにいた10番隊の隊士たちはどうしました?」男が尋ねた。
「えっと、今巡察っていうのに行きましたけど…」
「左之助は来たんですか?」
「はい」

男はふぅ、とため息をついた。

「まったくあいつは…」

琉菜は全く状況がつかめず、眉間にシワを寄せた。男はそれに気づき、説明してくれた。

「組長をどこかで見なかったかと隊士に聞かれましてね。呼びに行ったんですがいなくて…すれ違ったみたいです。あいつはいつも勝手で…あなたもいろいろ振り回されるかもしれませんが、ガツンと言ってやって構いませんから」

あれ?この人…
原田さんのことを「あいつ」って…
もしかして、偉い人?

「あの…あなたは…?」
「ああ、申し遅れました。私は永倉新八。2番隊組長です」

この人が2番隊組長!

琉菜は永倉をまじまじと見た。原田に比べ、落ち着いた雰囲気を漂わせていた。

「あなたは琉菜さんですね。未来から来たっていう…」
「知ってるんですか?」
「はい。土方さんが昨日、試衛館出身の幹部を集めて…あなたの素性が伝えられました」
「シエ…なんですか?」

琉菜はまたしても登場した新たな専門用語に首をかしげた。

「ああ、誰も話してないんですか?試衛館というのは、我々がいた江戸の道場です。近藤先生はそこの道場主、総司は塾頭、土方さんや我々は食客としてそこにいたんです」

聞いてません!知りません!

「原田さんと藤堂さんもそこ出身なんですか?」
「ええ。あとは総長の山南さん、6番隊の源さんです。それと、3番隊の斉藤も、試衛館出身ではありませんが、事情は知らされています」
「あたしは何も知らされてないんですけど…」琉菜はボソッと言った。

永倉は琉菜の言葉をしっかり聞き取り、可笑しそうに笑みを浮かべた。

「平助のこともご存知で?」
「はい、昨日ちょうどこの辺で会って…」
「本当に、しょうがないですね」永倉はふう、と溜め息をついた。 「まだいろいろ伝わりきってないことがありそうですね。何かわからないことはありますか?」

琉菜はしばらく考え、「何がわからないのかわかりません」と答えた。
永倉はくすりと微笑んだ。

「まあ、ここがどういうところかはおいおいわかると思いますから」


その後永倉はまた別の隊士に呼ばれて行ってしまった。

組長っていろいろ忙しいのかな?
そりゃ忙しいか。組長だもんね。
…って、かなり適当だけど。

琉菜ははあ、と溜め息をついて何気なく空を見上げた。

空はあっちと同じだな…
この空は、2010年の世界につながってるのかな。
あっちは今頃、どうなってるんだろ…

そう考えると、目頭が熱くなるのを感じた。

あたし…帰れるのかな…
ううん、絶対帰る!
なんとしても、探さなくちゃいけないんだ。














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