琉菜はよし、と言って立ち上がり、先ほど10番隊が出ていった門へと向かった。

もう一回、あの祠に行ってみよう。
今のところ、思いつく手がかりはあそこにしかないんだから。

琉菜は屯所を出て歩き出した。
幕末の京都どころか現代の京都さえ、引っ越したばかりの琉菜には土地勘がない。なんとなくの記憶をたどりながら歩くこと数十分…

ま、迷った…

琉菜はぼんやりと突っ立ち、途方にくれていた。

ケータイで地図出せば屯所まで…帰れないんだよね…
誰か新選組の人にメールして状況を知らせるとか…できないんだよね…

人に聞いてみるか、もうちょっと祠を探してみるか…
でもやっぱ時間がかかればお鈴さんとか心配するだろうし…

ようやく道を尋ねることに決め、辺りを見回す。
が、いつの間にやら琉菜は人気のない場所に来ていた。

どーしよ…
あたし今すごくピンチなのでは!?

考えてみたらあたしって相当バカだな…
まだ来て3日だってのに1人で外歩いたら道に迷うのは当たり前じゃん…

琉菜はもう一度あたりを見回した。
すると、向こうの方から男が2人歩いてきた。

「いたいた!ったく、探したぞ」
「なか…あ、兄上!」

中富ともう1人、琉菜の知らない男がやってきて、琉菜の前に立ち止まった。

「お鈴さんが心配してたぞ。お前が急にいなくなったから…」
「どうしてここが?」
「勘だよ、勘。ま、一応お前はオレの子孫だし?思考回路が似てるんだな、きっと」

琉菜は中富がさらりと「子孫」という言葉を口にしたことに気づき、慌てふためいた。
中富の隣にいる男は琉菜を中富の妹だと思っているはずなのだ。
中富はそんな琉菜の顔を見、付け加えた。

「ああ、大丈夫だよ。斎藤先生は事情を知ってるから」
「斎藤先生…?」

琉菜は男を見た。愛想が悪そうな目をしていて、琉菜は初めて土方に会った時のような威圧感を覚えた。

「そ。3番隊の組長、斎藤一先生。散歩がてら一緒に来てくれたんだ」
「そうだったんですか。わざわざありがとうございます」琉菜はぺこりとお辞儀をし、ふと思った。

散歩がてらって…
何そのマイペースな感じ…

琉菜は斎藤を見た。
何を考えているのかよくわからない人というのは時々いるが、この男はまさにそういう人なのだろうと琉菜は思った。


「お前こんなとこで何してたんだ?」

中富の問いに、琉菜は迷ってしまった経緯を説明した。

「で、その祠は見つからずじまいか…」中富がつぶやいた。
「はい、あの時は闇雲に歩きまわってばったり沖田さんとお鈴さんに会って新選組に行ったんで、記憶が…」琉菜は尻すぼみにそう言い、呆れたような中富を見た。
「祠は逃げねえんだから、もうちょいこのあたりに詳しくなってから探せよ。オレらが来なかったらお前屯所にも帰れねーぞ」
「はい…すみませんでした」
「ま、とりあえず無事みたいだし、帰るぞ」

中富は踵を返し、屯所へと歩き始めた。
琉菜は慌てて後を追った。そして、その隣を斉藤が悠々と歩いていた。

「未来がどんなところかは知らないが、ここはあんたが思ってる以上に物騒だぞ」

聞こえるか聞こえないくらいの声で斉藤がぽつりとそう言ったので、琉菜はハッと斉藤を見た。
斉藤は何事もなかったかのような顔をして歩いていた。

物騒…か。
確かに、みんな刀持ってるし…

琉菜は中富と斉藤の腰にささっている物を見た。

本物なんだよね…

それでも琉菜にはなんだか現実味がなかった。物騒と言われても街の様子はいたって静かだったし、信じられなかった。

ま、物騒さでは21世紀も負けてないし、なんて。実際大丈夫でしょ。

そんなお気楽な考え方を後悔する日がやってくることをこの時琉菜は知る由もなかった。












「琉菜ちゃん!どこに行ってたん?心配したんやで」

屯所に帰ると、鈴が血相を変えて走ってきた。

「お鈴さん…ごめんなさい」琉菜は事情を説明した。
「もう…このあたりは物騒やさかい、1人で出歩いたらあかんえ」

「あ、帰ってきたんですね!」奥から沖田がやってきた。
「無事で何よりです。中富さん、斉藤さん、ありがとうございました」
「本当に、わざわざすみませんでした。ありがとうございます」琉菜も2人に向き直り、お辞儀をした。
「別に、構わない…」斉藤はそれだけ言うとすたすたと行ってしまった。

ヤバイ…もしかして怒らせた?

「気にしないでいいですよ。斉藤さんはいつもあんな感じですから」沖田は可笑しそうに斉藤が去っていった方を見た。
「まったく、世話のやける妹だぜ。じゃ、そろそろ稽古の時間だからオレは行くぞ。沖田先生、よろしくお願いしますね」
「はいはい、すぐ行きますから」
「先に行ってますよ」そう言って、中富は道場に行こうと背を向けた。
「あ、中富さん」沖田が呼び止めた。
「何ですか?」
「今夜、琉菜さんの歓迎会をやろうって、さっき永倉さんと話してたんです。中富さんもいかがです?」

中富は沖田を見、少し考えた。

「じゃあ…ご一緒させていただきます」

中富はそれだけ言うと、道場に向かっていった。

「歓迎会…って、あの…ありがとうございます」琉菜は驚き混じりで言った。
「いいんですよ。永倉さんが、他の試衛館の人たちを琉菜さんに紹介しといた方がいいだろうって。ま、実のところは宴の口実が欲しいっていうのが本音でしょうけど」

って、なんかお礼言って損した気がするのはあたしだけ!?

あんぐりと口を開けた琉菜をよそに、「稽古の支度がありますから」と沖田はその場をあとにした。
「琉菜ちゃん、早速で悪いんやけど、夕餉の支度せな」

琉菜は我に返り、鈴と台所に向かった。








その夜、琉菜と鈴の部屋に酒と料理が運び込まれた。

「おい、狭いぞ総司」原田が顔をしかめた。
「だって、もともと2人寝るのにちょうどいいくらいの部屋ですもん。そこに9人入るんですから」
「それでもここが他の隊士が入ってこない部屋で一番広いんですよ」藤堂が落ち着いて言った。
「沖田先生、オレやっぱ抜けましょうか…」
「何言ってるんだ、お前は琉菜さんの兄貴だろう」永倉がたしなめた。

部屋にはぎゅうぎゅうと人がいて、琉菜はむさ苦しい、という思いを顔に出さないよう注意した。
いるのは琉菜と鈴の他に、沖田、中富、永倉、原田、藤堂と琉菜の知らない男二人だった。

「これで近藤さんと土方さんもいたら最悪だな」原田がやれやれ、といったように言った。

近藤と土方は仕事があるから、とこの宴会には不参加だった。
沖田は杯を取り、こほんと咳払いして音頭をとった。

「じゃ、皆さんいいですか?改めて、琉菜さん、新選組にようこそ。乾杯!」

乾杯!と大きな声がして、杯がぶつかり合う音がした。

ま、未成年だけど一口くらいいいよね。

琉菜は杯に口をつけ、少し酒をすすった。

苦い…

琉菜は杯を置き、周りを見た。

「琉菜さん、まずこちら、総長の山南さんです」沖田が隣に座っていた男を紹介した。
「山南敬助です。事情は聞いています。これからよろしくお願いしますね」山南は優しい笑みを浮かべた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「で、その隣が6番隊組長の源さん」沖田は山南の隣に座っていた男を指した。
「おいおい総司、ちゃんと名前で紹介してくれよ…申し遅れました。井上源三郎と申します。みんなには源さんと呼ばれているのでそれでいいですよ。わからないことがあればなんなりと」井上は人の良さそうな笑顔で言った。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」

それからしばらく、酒を飲みながら、わいわいと時間は過ぎていった。
原田、藤堂は1時間もすると、酔いつぶれて眠ってしまった。

「私は水をもらってきます」山南が立ち上がった。
「あ、私も行きますよ」井上もあとに続いた。
「ったく、2人ともしょうがない」永倉はふう、と息をついて眠りこける仲間に羽織をかけてやった。

そうやって、飲み会がひと段落つくと、沖田がふいに琉菜の着物の袖をひっぱった。

「ちょっと、出ませんか」

琉菜は無言でうなずき、沖田について部屋を出た。
井上と山南は部屋を出ると井戸の方に向かっていったが、沖田は屯所の門へと向かった。

「沖田さん、あたし、夜は外出するなって土方さんに…」
「だから、内緒です」

沖田はいたずらっぽく笑うと、門の外に出、大きく深呼吸した。

「やっぱり外の空気は気持ちいいですね。あの部屋はむさくるしくて」沖田は琉菜を置いていきそうな勢いでずんずんと歩き始めた。
「はあ…」

って、なんで2人きり?
そういえば、沖田さんって、なんかキャラ変わったよね…初めて会った時はあんなコワい顔してたのに。

琉菜はその時のことをつい今しがた起こったように鮮明に思い出した。

あたしのこと、怪しいだの、異人だのって…悪者扱いして…
そのくせに、なんで今この人はあたしの横を平然と歩いてるわけ?
あれ、なんかムカついてきた。
あたしが沖田さんのせいでどんだけコワい思いしたか知らないくせに。

「あたし、帰ります」琉菜はぴたりと立ち止まった。
「どうしたんですか?」
「散歩なら1人でしてください。あたしと行く筋合いはないはずです」

急にツンとした態度になった琉菜を見て、沖田は少し驚いているようだった。
そして、「そんなこと言わないでくださいよ。今日は月がきれいなんですから」と言うと、何事もなかったかのように歩きだした。

琉菜はムカムカしながらも、仕方なしに沖田の後ろを歩き始めた。

いや、でも、あたしの話を最初に信じてくれたのは沖田さんだ。新選組に置いてくれたのも…違う、それはお鈴さんだ。
沖田さんが実際いい人なのはわかってるし、賄いになってからはあたしのこと気にかけてくれてるのもわかる。
ひょっとして、あのコワい沖田さんは幻?

そうこう考えているうちに、琉菜は屯所からだいぶ離れたことに気づいた。

「沖田さん、どこ行くんですか?」
「ちょっと、そこまで」

…と言った割りには、琉菜の感覚でゆうに30分は歩いた。

「ほら、着きました」

沖田の声に足を止め、目の前を見ると、川が流れていた。

「鴨川…」
「そうです。あの木の下に琉菜さんがいて」

そう言って指差した方には、確かに大木が一本、どっしりと立っていた。
驚いて目を丸くする琉菜のことなど気にせず、沖田は大木のそばに駆け寄り、腰を下ろした。そして、琉菜に向かって手招きした。
琉菜は何も言わずに沖田の横に腰を下ろした。

「あの、話したいことって?」
「琉菜さんに、謝りたくて」

さらっと言った沖田の顔を、琉菜は覗き込むように見つめた。

「何を…ですか?」
「ほら、初めて会った時、琉菜さんのこと疑ってたでしょう?ろくにあなたの話も聞かないで異人だ、怪しいって…怖い思いさせましたよね。でも、なんかなかなか謝れなくて…」

琉菜は目を丸くした。

もしかして、あたしが怒ってるのバレてた?そんなに顔に出てたかな?

「全然、気にしてないから大丈夫ですよ。確かにすっごく怖かったですけど」
「そうですか」
「そうですよ。いきなりトンショに連れてくとか言われて、何されるんだろうって怖かったし、沖田さん、目つき悪いし、刀持ってるし、最悪尋問されて斬られるんじゃないかって、すっごく怖かったんですよ!」
琉菜は次第に語気を荒げながら、そう言ってのけると沖田をキッと睨んだ。

「…やっぱり怒ってるじゃないですか」
「…悪いですか?」

すると、沖田はにこりとほほ笑んだ。

「何がおかしいんですか!?」
「申し訳ありませんでした。素直なところがお兄さん…いや、曾曾曾おじいさんにそっくりですね」

沖田は改めて琉菜の方に向き直った。

「あなたのこと、疑ったりして申し訳ありませんでした。許していただけますか?」

琉菜はこくりとうなずいた。

「ありがとう。もう1つ、お詫びのしるしにいいものを見せてあげます」

言うが早いか、沖田は木を登りはじめた。

「着物で木のぼりなんてできませんよ!」
「大丈夫、ほら」

先に上まで登った沖田が手を差し伸べた。
琉菜は着物の裾を少したくしあげると、その手をつかんでよじ登った。

「いいものって、なんですか?」

琉菜がそう尋ねると、沖田は黙って空を指差した。
見上げると、まばゆいまん丸の月が雲ひとつない空にぽっかりと浮かんでいた。

「この木の上から見ると、下で見るよりずっときれいなんです」沖田は少し得意げに言った。
「す、ごーい…」

現代にいる時、月ってこんなにきれいだったっけ。
ていうか、月をこんなにじっくり見ることもなかった。

琉菜はにこりとほほ笑んだ。

「沖田さん、ありがとうございます」

現代でも、同じ月が出てるのかな。
お父さん、お母さん、どうしてるかな。
まだ行ったこともない高校生活、どうなるのかな。

知らないうちに、琉菜は涙を流していた。

沖田さんや、新選組のみんながすごくいい人なのはわかってる。
でも、やっぱりあたしは帰りたい。

琉菜は頭の上に何か重いものが乗っかるのを感じた。
沖田が、ぎこちない手つきで琉菜の頭をぽんぽんと叩いていた。










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