数日後。

まだまだ慣れないことの方が多いものの、琉菜は着実に幕末の生活に適応しようとしていた。

「琉菜ちゃん、うちは離れに朝げ持ってくから、大部屋の方頼むね」

朝、鈴は慌ただしくそう言うと繕を持って台所を出た。琉菜は鈴の背中に返事をしながら、自分が運ぶ繕を重ねた。

離れ、か…

琉菜はまだ離れに行ったことがなかった。離れには参謀という役を務める伊藤甲子太郎と、その江戸での門人たちが住んでいる、と話には聞いていた。

どんな人たちなんだろう。
挨拶くらい、しといた方がいいよね。






その日の夕食時、琉菜は離れに繕を運ぶ役目を買って出た。
離れは普段琉菜たちが寝起きしている母屋の庭の向こうにあった。

「失礼します」

繕の両端をしっかり握って、琉菜は中に入った。突き当たりの大部屋の前まで来ると、琉菜は繕を置き、障子の前に座った。

「夕食をお持ちしました。伊藤…さん、いらっしゃいますか?」

返事がないので、琉菜は障子を開けた。大部屋といっても、ここは離れ。母屋で隊士たちが食事する大部屋よりはこぢんまりとしていた。
誰もいない部屋で、繕を並べていると、障子が開き、数名の男が入ってきた。

「あなたは…」

先頭の男が怪訝そうな顔で琉菜を見た。琉菜は慌てて手をとめて男に向き直った。

「新しく賄い方に入りました、琉菜と申します。一番隊隊士、中富新次郎の妹です」琉菜は畳に手をついて深く頭を下げた。
「ああ、あなたが。話には聞いていますよ。どうぞ頭を上げてください。私は伊藤甲子太郎。新選組の参謀を務めています。こちらは左から鈴木三樹三郎、篠原泰之進、加納鷲雄、内海二郎です。みんな江戸の私の道場の門人でして。どうぞよろしくお願いします」

伊藤はすらすらと言ってのけ、琉菜に笑いかけた。端正な顔立ちだ。土方も端正な顔立ちをしているが、土方にはない優しげな表情というものが、伊藤にはあった。
琉菜はよろしくお願いします、と言うと、手早く残りの作業を終わらせた。

「それじゃあ、あたしはこれで。失礼しました」琉菜はぺこりとお辞儀をした。
「こちらこそありがとうございました。またお願いしますよ」伊藤は柔らかく言った。



伊藤さんって、なんかいい人そうだなー。
しかもイケメンだし。お母さんは土方さんが好きって言ってたけど、第一印象でいったら絶対伊藤さんの方がいいよ。お母さんも見る目ないなぁ…

のんきにそんなことを考えていると、その土方にばったり出くわした。

「どこ行ってた。お鈴さんが1人でがんばってるぞ」
「離れです。伊藤さんたちの食事をだしてきました」琉菜は少しムスッとして言った。土方の話し方はいつもぶっきらぼうだ。
「伊藤か…」土方はポツリと言うと、鋭い目で琉菜を見た。
「あいつらには、関わるな」

土方はそれだけ言うと、スタスタと副長室に向かった。
琉菜には、なぜ土方がそんなことを言うのか皆目見当がつかなかった。









「ああ、そのことですか」

食事が終わって一段落、という頃、琉菜は沖田に一部始終を話した。
縁側に座って、沖田は少し笑いながらそう答えたのだった。

「そのことって…どういうことですか?」
「土方さんと伊藤さんは何かと考え方が正反対で、いつも衝突して皮肉合戦みたいになるんですよ。土方さんは剣術の腕さえあればいいって考え方で、伊藤さんは論を身につけて勝負することも必要だっていう考え方。横で見てる分には2人の対立は面白いんですけどね。今新選組の名物になってるんです」沖田はぷっと笑った。
「でも」途端にマジメな顔つきで、沖田は琉菜を見た。

「伊藤さんにあまり近づかない方がいいっていうのは得策かもしれませんね。伊藤さんだって、琉菜さんのちょっと前に来たばっかりだからよくはわからないけど、なんだかとっても鋭いみたいだから、琉菜さんの秘密に気づかないこともないだろうし。もしポロッと未来の言葉なんかが出たら、誤魔化せる相手じゃないことは確かですね」

伊藤さんって、そんなにすごい人なんだ…
失礼な話、そんなふうには見えなかったけど…

ぼんやりと考えていると、鈴の声がした。

「琉菜ちゃーん、どこにおるーん?」
「はーい、ここです」琉菜が大声で返事をすると、足音が近づいてきた。
「琉菜ちゃん、悪いんやけど、薪運ぶの手伝ってくれへん?裏庭にあるから。明日の分がもうないんよ」
「あ、はい」琉菜は立ち上がって鈴に続いて裏庭に行こうとした。
「私も手伝いますよ」

沖田も立ち上がり、2人ににこりと微笑んだ。

「ほんまどすか?ほんに、沖田はんは組長はんらしゅうないどすなぁ」
「そんなこと言うと手伝いませんよ」
「誉めとるんやないどすか。組下思いやね、て」

鈴はくすりと微笑んだ。沖田は少し黙り込んでから、

「ほら、早く行きますよ、琉菜さんも!」

琉菜は慌ただしく返事をして2人について裏庭に向かった。


沖田さんは、結局いい人なんだ。


そう思って沖田の顔を見ると、少しどぎまぎしたような、なんとも言い難い顔をしていた。
















そうして、琉菜がタイムスリップしてから早半月が過ぎた。
着物も自力で上手く着られるようになったし、火おこしも前よりスムーズにできるようになった。

「ったく、火おこしができるようになったぐらいで喜んでんじゃねぇよ」中富が琉菜の倍速で火をおこしながら言った。
「いいじゃないですか。あたしはここに来てからまだ2週間しか経ってないんですよ?」
「…だから、その2週間ってのは何だ」
「あ…14日間ってことですよ」
「ふぅん…って、またお前未来の言葉使ったな?気をつけろよ。岡崎が戻ってきてたら危なかったぞ」
「す、すいません…」
「まあまあ中富はん、琉菜ちゃんかてつい言うてしもただけなんやから」鈴はそう言いながらトントン、と軽快な音立てて野菜を切っていた。
「お鈴さんは甘いんですよ」
「中富はんかて、妹はんには優しゅうせなあかんえ?」
「だって、こいつ見てるとハラハラするんですよ」

鈴が再び何か言おうとすると、「水、汲んできましたー」という声がした。

「岡崎さん、ありがとうございます」琉菜は岡崎が置いたタライに近づいた。
「やっぱり、当番制が復活して良かったわぁ」鈴は切り終えた野菜を空の鍋に入れた。

中富と、岡崎と呼ばれた平隊士。2人は賄いの仕事を日替わりで手伝う賄い当番だった。
琉菜が来る前は、数人の隊士が交代で鈴の仕事を手伝っていた。が、琉菜が来てからは専任の賄い方が2人もいれば当番はいらないだろうということで当番制が廃止されたのだ。
しかし、新選組は100人以上の隊士を抱える大所帯。
いくら賄い専任とは言え、2人で100人分の世話をするのは大変だ。ということで、平隊士から毎日2人が当番として賄いを手伝うことになっていた。今日は中富と、3番隊の岡崎が当番というわけだ。

「中富、今日お前んとこ巡察だっけ」
「ああ。午前中な。四条の方だったかな」
「入れ違いだな。俺らは午後に三条だ」

そんな話を何気なく聞きながら、琉菜はお湯を沸かしていた。


ここの暮らしにも慣れてきたなぁ…
慣れてどうするのって感じだけど、ここの生活がいつまで続くかわからない以上、溶け込むしかないんだよなぁ…

それでも、やはりガスコンロや冷蔵庫が恋しかった。
地道に料理をしているおかげで、琉菜は一日中食事を作っているような気分だった。












午後になって、琉菜と鈴は買い物に出かけた。
必要な食材を買って帰れば、つかの間の休憩時間がやってくる。

「あ、お鈴さん、琉菜さん、お帰りなさい」

屯所に戻ると、縁側に沖田、中富、原田が座っていた

「買い物ですか?ご苦労さまです。2人も食べませんか?大福。まだ余ってますから」沖田は手元にある皿を指差した。

「うちは結構どす。もう、沖田はん、知ってはるくせに。琉菜ちゃん、荷物はうちが部屋に置いてくるし、食べるとええよ」鈴はにこりと微笑み、琉菜の荷物を渡すよう促した。
「って、悪いですよ、あたしも…」
「ええからええから。いろいろ疲れてるやろ?」

鈴は琉菜に有無を言わせないまま、2人分の荷物を持って部屋に戻っていった。

「あ〜あ、またお鈴さんには断られちゃいましたね。塩大福なんだけどなぁ」沖田は少し残念そうに言った。
「沖田先生も懲りませんねぇ。ムリなものはムリですよ」中富が言った。
「またって、いつも断られてるんですか?」琉菜は驚いて尋ねた。
「そうなんだよ。お鈴ちゃん、甘いもんが苦手なんだと。甘味処の女中やってたのにな」原田はくすくすと笑った。

琉菜はぐっと身を乗り出して原田を見た。大福へと伸ばしていた手がピタリと止まった。

「甘味処って、お鈴さんそこの女中さんだったんですか?」
「そうそう。オレたちみんなそこの常連だったんだ」中富はぼんやりと遠くを見つめた。
「じゃあ、どうして新選組に?」

琉菜は以前、髪結いの小夜が言っていたことを思い出した。鈴が、「琉菜にも事情がある」と弁明した時のことだ。

『そう言うたらそうやわ。せやなかったら新選組なんか来ぃひんもんなぁ』

お鈴さんにも、何か事情があるのかな?
確かに、そうでもなければこんな男所帯に飛び込んだりしないよね。

沖田、中富、原田は顔を見合わせ、その表情を少し曇らせた。

何?やっぱあたし悪いこと聞いちゃった?

やがて、沖田がやや言いにくそうに切り出した。

「もう三月ほど前になりますけど、京で戦があったんです。それで、町に火が放たれて、たくさんの家や商家が燃えて…お鈴さんが働いてた甘味処も、燃えてしまいました。お店のご主人も亡くなってしまって、お鈴さん1人が生き残ったんです。身よりも何もありませんでしたから、うちで働いてもらうことになったんです」

沖田はそれだけ言ってのけると、ふっと息をついた。
しばらく沈黙が流れた。琉菜は何を言ったらいいのかわからなかった。
そして、中富が沈黙を破った。

「でも、最近お鈴さん笑顔が増えたし、ここでうまくやれてるみたいだからよかったですよね!」

それに続いて沖田と原田も口を開いた。

「そうそう、元気すぎて時々コワいですもん」
「だよな!」
「それは2人がつまみ食いするからですよ!お鈴さんが怒るのも当たり前です!」中富がたしなめた。
「原田さんよりマシですよ。私は甘味専門ですから」沖田はにやりと笑った。
「うるせー、腹が減っては戦はできねぇんだよ」

琉菜はぷっと笑った。
ついさっきまで笑ってはいけないような話をしていたはずなのに、3人のやりとりがツボにはまってしまった。

3人はくるりと琉菜を見た。

「琉菜さぁん、笑い事じゃないですよぉ」と沖田。
「あのー、お鈴さんの話してたんですよね?」中富がためらいがちに言った。

笑いが収まると、琉菜は大福を一口かじった。

「でも、お鈴さんに、そんな過去があったなんて…信じられない」
「今の話、お鈴さんには言わない方がいいですよ。つらいこと思い出させちゃいますから。まあ、向こうから言ってくれば別ですけど」沖田が真面目くさって言った。

そうですね、わかりました、と答え、琉菜は二口目をほおばった。


お鈴さんだって、つらいことを乗り越えてがんばってるんだ。
あたしも、くよくよしないでやってかないと。

琉菜はもう一度、大福にかじりついた。
ほのかなあんこの甘さが、口の中に広がった。








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