「すんまへーん、どなたかいらしまへんかー?」

庭掃除をしていると、門の方から声がした。

「はーい」

琉菜は返事をすると、箒を置いて門に向かった。
そこにいたのはどうやら飛脚らしい。新選組の面々は皆袴をはいているか、着流し姿だったが、目の前にいる男は尻端折りをして棒のついた箱を担いでいた。

「おや、他にも女子の賄い方はんがおったんやなぁ。まあええですわ、これ、新選組のみなはん宛の文ですさかい、渡したってください」
「はい、ご苦労様です」

琉菜が飛脚から手紙の束を受け取ると、飛脚はさっさと行ってしまった。

現代のように封筒には入っておらず、折りたたんだ和紙の裏に名前が書いてあった。
琉菜はその文字を見て途方にくれた。
文字はもちろん筆で書いてある。しかも、習字の時間にやるような楷書ではなく、流れるような行書体で書いてあった。それ故に、琉菜にとっては判読不可能だった。

とは言え、琉菜には正しく届ける義務がある。全部で3通ある手紙を裏表チェックし、琉菜は「山」という字を見つけた。

山はさすがに読める…で、これは「南」…?山南さんか!
とりあえず山南さんのところに届けて、そこで読み方を聞こう、うん。

琉菜は束を全部持ったまま山南の部屋に向かった。




「山南さん、いらっしゃいますか?琉菜です」

障子の前に座り、中の様子を伺う。ほどなく、「琉菜さん?どうぞ」と声がした。

「失礼します」琉菜はガラッと障子を開けた。なんだか学校の職員室に入るような気分だった。

山南は部屋の隅に置かれた文机に向かって何か書いているようだった。琉菜はその横まで歩いていって、正座した。

「山南さん、手紙…文が来てたので、届けにきました」
「ああ、ありがとう」山南は手紙を受け取ると、なかなか腰を上げない琉菜を不思議そうに見た。
「あの、これ、他の人に来た手紙なんですけど、あたし、読めなくって…」

山南は「ああ」と合点がいったような顔をして手紙を受け取った。

「これは藤堂くんですね。こっちは篠原くん。伊藤さんのところの人ですよ」

琉菜はもう1度宛名を見た。確かに、藤堂平助の「平」や篠原泰之進の「之」は琉菜にも判別できた。

「琉菜さん、失礼ですが、読み書きの方は?」山南は琉菜に手紙を手渡しながら聞いた。
「一応、一通りはできるといえばできるんですけど…この時代の字って、古いし、繋がってるしで、読めるものも読めないっていうか…」

困ったようにそう言う琉菜を見て、山南はまた不思議そうな顔をした。

「古いから、というのはわかりますが、繋がってるからっていうのは一体?」
「あたしの時代では、筆で書くのは特別な時だけで、書いたとしてもこんなふうに繋がってないんです」
「えっ、じゃあ、一体何で書くんですか?」
「ペンとか、鉛筆とか…」

山南は目を丸くしていた。もちろん、そんなものは見たことも聞いたこともないはずだ。

「だから、こんなふうに繋げて書かないんです」

山南は次第に興味津々、という顔になった。

「ちょっと、書いてみてもらえますか。そのぺんとやらとは勝手が違うとは思いますが」山南は文机に置いてあった筆と硯と紙を指した。

琉菜は机の横に近づいて筆を取ると、「山南敬助」と書いた。

「こんな感じです」

差し出された紙と自分の手紙を見比べながら、山南は「へぇー、面白いですね」と感心した。
琉菜は山南の反応を見て、あっと声を上げた。

「どうかしました?」山南が目を丸くした。
「こんな字書いたらあたしが未来から来たってバレちゃいますよね…」

山南も「ああ」という顔で琉菜の書いた字を見つめた。

「そうですね…まあ、琉菜さんが字を書かなければいけないという機会はあまりないかもしれませんが…しかし、読めないというのは何かと不便でしょう」

今度は琉菜が「ああ」という顔をする番だった。確かに、手紙が来るたびいちいちこうして誰かに聞くわけにもいかない。

「琉菜さんは江戸の商家で奉公していたことになっていますから、字が読めないとなれば怪しまれてしまいますね。…そうだ、ここで練習するというのはどうでしょう」
「ここで…って?」
「私がお教えしますよ」

琉菜は驚いて山南を見た。

「いいんですか?山南さん、お忙しいんじゃ…」
「忙しいのは琉菜さんも同じでしょう。毎日というわけには行きませんが、時間を見つけて来てもらえれば私は大丈夫です」


その後、早速その読み書き講座は始まった。
字を書くこともそうだが、話し言葉と書き言葉の差が、現代の何倍も激しいことに、琉菜はすぐに気付いた。

「あたしの時代では、こうやって話してる言葉をほぼそのまま字にするんです」琉菜が山南にそう説明すると、山南は相当驚いていた。

この時代、話す時はほぼ現代に近い言葉で通じるのだが、(それでも、琉菜は時々この時代のものの話す言葉がわからない時があった)書き言葉は古典の授業でやったような文法で書いてある。
中学校では、簡単な歴史的仮名遣いや漢文の読み方をかじっただけなので、琉菜は途方にくれてしまった。
苦も無く読み書きができるようになるまでには、かなり時間がかかりそうだ、とげんなりしたところで初回の講座は終わった。











あー、久々に頭使ったら痛い…
ちょっと散歩でもしようかな。道に迷わない程度に…


屯所の周りには寺が多いと聞いていたので、琉菜はそれらをぐるっと見て回ることにした。
まずは最初に裏手にある壬生寺に向かった。

すると、境内の方から何やらはしゃぎ声のようなものが聞こえてきた。
大きな門をくぐると、近所から集まったであろう子供たちが楽しそうに走り回っていた。
その中には1人だけ大人が混じっている。

よく見るとそれは沖田だった。

沖田さん?って…子供と遊んであげてるの?
かわいらしいじゃん。
ホントに何者なのかわかんないけど…

なんだかおかしくなって、クスリ、と1人で笑うと、

「あっ、琉菜さんじゃないですか!」

と、声がした。

「どうしたんですか?」沖田は子供のように楽しそうな顔で琉菜のところまで駆け寄ってきた。子供たちもわらわらと後ろからついてきた。

「いや、ちょっと通りがかったんで…」
「じゃあ、今暇なんですか!?」沖田は嬉しそうに言った。
「まあ、散歩でもしようかなって思ってただけなんで、暇といえば暇ですけど…沖田さん、なんで…?」
「私はよくここでみんなと遊んでるんですよー。楽しいですよ!琉菜さんもやりませんか?」

琉菜が答える前に、子供たちが2人のもとへ来ていて、興味津々といった様子で琉菜を見ていた。

「沖田はん、この人誰やの?」

沖田は思い出したように子供たちに向き直り、にっこりと笑った。

「この人は琉菜さんって言ってね、私たちのご飯を作ってくれたりしてるんだよ?一緒に遊んでくれるって!」
「ちょ、あたしはまだ…!」

そう言って視線を下にやると、子供たちがキラキラとした目で琉菜を見ていた。

ま、散歩よりいい運動になるかもね…

「わかった!何して遊ぶの?」

子供たちは「わーい!」と歓声を上げると、「かくれんぼ!」「鬼ごっこ!」と口々に言い始めた。

「こらこら、みんな、順番だよ」沖田がクスクスと笑った。



じゃんけんをした結果として、かくれんぼが始まった。
琉菜はそもそも壬生寺の構造に詳しくないので、右往左往しているうちに茂みの中に隠れた。が、一番に見つかってしまった。

「琉菜はんめっけ。そこ一番隠れやすいんやで。鬼が真っ先に探しに来るとこや」
「あはは、なんかそんな気した」

琉菜は境内に出て石段に座った。まだ他には誰も見つかっていないようだ。
鬼の子は他を探しにどこかへ行ってしまった。

かくれんぼなんて何年ぶりだろ…
っていうか、あたし、何やってんだろ…

ぼんやりとそんなことを考えていると、遠くから声がした。

「沖田はん、隠れきれてないんやもん」鬼の子が言った。
「うーん、うまく隠れたつもりだったんですけどねぇ」沖田が笑いながらやってきていた。
「あ、私が一番じゃなかったみたいですね」

沖田は嬉しそうに言うと、琉菜の隣に腰を下ろした。
少しの沈黙が流れた。琉菜は何か話さなければ、と口を開いた。

「沖田さんって…こういうことするんですね」
「こういうことって?」沖田が不思議そうに聞いた。
「こうやって、子供たちと遊ぶなんて。ますます、初めて会った時の沖田さんは別人だったんじゃないかって気がします」
「あはは、なかなか面白いことを言いますねぇ。私だっていつもいつも眉間にしわ寄せてたんじゃ疲れますよ」

そういうもんですか、とぽつりと言って、琉菜は沖田を見た。
楽しそうな横顔は、木の上で月を眺めていた時と同じだった。


大丈夫だ。
沖田さんは、優しい人だよね。


「あ!琉菜はんに沖田はん!へへ、大人が2人揃って先に見つかってしもうて、だらしがないわぁ」小さな男の子がケラケラと笑いながらやってきた。
「そういう弥吉は子供の中で一番ですよー」沖田がからかうように言った。

程なくして、全員が見つかり、一番に見つかった琉菜が次の鬼になった。



「…じゅーう!もういーかーい!?」

もーいーよ!という声があちこちから聞こえてきた。
琉菜は声がする方に走った。



現代に帰りたい。
でも、慣れてくれば意外と幕末も楽しいかも。
この生活も、なかなか悪くないのかも。

琉菜はキョロキョロと辺りを見回した。すると、茂みの陰に女の子が隠れているのが見えた。


「見ーつけた!!」

女の子はぺろっと舌を出して、いたずらっぽく笑うと、「もう見つかってしもたわ」と境内の石段に向かっていった。


沖田さんたち新選組の人がついててくれるんなら、もうちょっと、ここにいてもいいかな。
帰る方法はゆっくり探そう。


琉菜は1人、にこりと微笑むと、他の子供たちを探しに、奥へと入っていった。









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